コプト・カイロの裏路地から
2023-12-27 07:48 – 08:54
旅の初日、私は旧市街コプト地区を歩きました。一世紀に伝わったというキリスト教の最古の共同体が今も息づく一画で、煉瓦と石灰石の壁が層になって積み上げられています。ローマ時代のバビロン要塞跡を抜けると、白いドームの教会と十字架の墓地が現れました。ピラミッドの国の片隅にこんな静かな祈りの場所があると、私は来てみるまで知りませんでした。
二〇二三年の暮れから新年へ、私は一人ナイルを遡る旅に出ました。コプトの裏路地から始まり、ギザの三大ピラミッド、サッカラの階段ピラミッド、ルクソールのカルナックと王家の谷、そしてアブシンベルへ。砂漠の風と川面の光、五千年を渡って届く石の温度を、ですます調の手帳にそっと書き留めていきます。
2023-12-27 07:48 – 08:54
旅の初日、私は旧市街コプト地区を歩きました。一世紀に伝わったというキリスト教の最古の共同体が今も息づく一画で、煉瓦と石灰石の壁が層になって積み上げられています。ローマ時代のバビロン要塞跡を抜けると、白いドームの教会と十字架の墓地が現れました。ピラミッドの国の片隅にこんな静かな祈りの場所があると、私は来てみるまで知りませんでした。
2023-12-27 08:54 – 14:54
ランプの下げられたアーチの中庭は「宙吊り教会」と呼ばれるアル・ムアッラカ教会。三世紀末から残る聖母マリア教会で、要塞の門の上に建てられたためにこの名がつきました。クリスマスの飾りがまだ残る大理石の床は、シナイ修道院から運ばれたともいう柱と相まって、東方教会の静謐そのものでした。私は冷えた指でしばらく祈りました。
2023-12-28 09:02 – 09:17
翌朝、ギザに立ちました。紀元前二五六〇年頃に築かれた最大の王墓、クフ王のピラミッドは平均二・五トンの石灰岩を二三〇万個積み重ねたと伝わります。崩れかけた基底部に手をあてると、四千五百年の時を超えて石はまだ温かい。馬車が砂塵をあげて通り過ぎ、彼方にはカフラー王ピラミッドが霞んで見えました。歴史のスケールに、私はしばし言葉を失いました。
2023-12-28 11:14 – 13:33
ギザの南へ進み、サッカラへ。第三王朝ジェセル王の階段ピラミッドは紀元前二六五〇年頃、宰相イムホテプが設計した世界最古の石造大建築です。さらに南のダハシュールでは、屈折せずに完成した最初の真正ピラミッド、赤いピラミッドが砂漠に静かに座っていました。観光客はまばらで、登り口へ続く一本の階段がそのまま王の永遠へ続いているように見えました。
2023-12-28 16:44
夕方はカイロ中心部、エジプト考古学博物館へ。十万点を超える収蔵品の中、私が長く足を止めたのはツタンカーメンの黄金マスクではなく、古王国時代の彩色された夫婦像でした。妻が夫の肩にそっと手を回す仕草は、ファラオの威光ともピラミッドの巨大さとも違う、四千年前の家族の柔らかい温度を伝えてくれます。歴史は王の物だけではない、と教えられました。
2023-12-29 08:19 – 10:52
三日目はカイロ城塞へ。一八四八年完成のムハンマド・アリ・モスクはオスマン様式の銀色のドームと細い尖塔が連なる「アラバスター・モスク」とも呼ばれる名建築です。城塞からの景色を後にして、ナセル時代に建てられた十月戦争パノラマ館へ。三六〇度のジオラマは戦争の生々しさを伝え、ピラミッドだけがエジプトではないことを改めて感じました。
2023-12-30 07:10 – 08:32
夜行で南へ移動し、上エジプトの田園で朝を迎えました。クローバー畑の向こうにナイルが鈍く光り、煙の匂いと驢馬の声、椰子の影。観光地に挟まれた何でもない畔ですが、川と人と土の関係はファラオの時代から変わっていない気がしました。古代エジプト人が「ケメト(黒い土の国)」と自国を呼んだ理由を、私は足元の湿った黒土でようやく理解しました。
2023-12-30 12:32 – 16:40
ルクソールに着き、ナイル沿いのクルーズ船に荷を解いた後、カルナック神殿へ。中王国時代から二千年かけて拡張されたエジプト最大の神域で、第一塔門の高さ四十三メートルの未完成壁は今も巨人の前に立たされる気持ちにさせます。隣接の祭祀殿の柱には軍事行進の浮彫がびっしりと並び、夕陽が砂を金色に染める頃、ルクソール神殿のオベリスクが街路の向こうに見えました。
2023-12-31 07:39 – 09:20
大晦日の朝、ナイル西岸へ渡りました。ラムセス二世の葬祭殿ラメセウムを高台から見下ろし、紀元前一四七九年に即位した女王ハトシェプスト葬祭殿へ。三層のテラスが断崖と一体化したこの建物は、紀元前十五世紀の建築家センムウトの傑作です。スフィンクス像と石灰岩の崖が朝日に染まり、男性ファラオを名乗った女王の野心を、私は静かな広場で想像しました。
2023-12-31 10:16 – 10:42
そのまま王家の谷へ。新王国時代、紀元前一五五〇年頃から五〇〇年にわたり六十以上のファラオが葬られた渓谷で、入口は荒々しい石灰岩の崖に穿たれた穴のようです。地下に降りると、三千年前の顔料がまだ生々しい朱と青で残されていました。ホルスとアヌビスとイシスが王の魂を導く場面、そのカルトゥーシュに刻まれた王の名前を、私は息を止めて見つめました。
2023-12-31 16:29 – 16:58
ルクソール港を発った客船は、ゆっくりと南へ進みます。古代から「上エジプト」と呼ばれた上流側へ遡る五日間。デッキで風を浴びていると、椰子のシルエットの向こうに夕陽が落ち、年が変わる瞬間を私はナイルの真ん中で迎えました。ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」と書きましたが、その意味を額に汗をかきながら確かめる旅です。
2024-01-01 08:09 – 08:56
新年の朝、船はエドフに着きました。プトレマイオス朝期、紀元前二三七年から約一八〇年かけて建てられたホルス神殿は、エジプトで最も保存状態の良い神殿の一つです。砂に覆われていたために風化を免れ、入口の塔門と内陣の高浮彫は驚くほど鮮明。隼の姿のホルスがファラオに永遠を授ける場面の前で、私はクレオパトラの時代のすぐ近くにいるのだと気づきました。
2024-01-01 09:16 – 17:00
エドフの船着場には何隻ものクルーズ船が縦に並んで係留されていました。船は隣の船を貫いて出入りする独特のスタイルです。やがて錨が上がり、両岸の砂漠と緑地の境界線がゆっくり後ろへ流れていきます。日が傾き、川面が炎のように輝く。エジプトの一月は乾燥していて、空が高く、夕日が水平線まで丸く膨らんで見えました。
2024-01-01 17:57 – 18:07
夕食前に船はコム・オンボに接岸し、私はライトアップされた神殿へ向かいました。プトレマイオス朝期に建てられたこの神殿は、ワニの神セベクと隼の神ホルスを左右対称に祀る世界でも珍しい二重神殿です。柱に浮かぶ象形文字は橙色の灯に照らされ、外科器具を彫ったレリーフが医学史の研究者を驚かせたと言います。砂漠の夜は冷え、星は驚くほど近くに見えました。
2024-01-02 07:38 – 08:40
アスワンからさらに南、ナセル湖を望む岩山に四体の巨大坐像が並んでいます。アブシンベル大神殿、ラムセス二世が紀元前一二六四年頃に岩を刳り抜いて造らせた威信の象徴です。アスワン・ハイダム建設による水没から救うため、一九六〇年代にユネスコの国際協力で六十メートル上に解体移築されたという奇跡の物語も、現地に立つと全てが本物に思えてきます。砂漠の朝の光が額の蛇を照らしました。
2024-01-02 08:58 – 15:38
アブシンベルからアスワンへ戻る道は、ナセル湖の輝きを肩に感じながらの長旅でした。湖はアスワン・ハイダム(一九七〇年完成)が生み出した世界最大級の人造湖で、エジプト南部の電力と灌漑を支える要です。船が立てる白い波頭、堤防のシルエット、太陽の鏡のような水面。古代の遺跡群が水に沈み、現代の生活が回り出した、その境界を私はゆっくり横切っていきました。
2024-01-02 15:41 – 15:56
旅の締めくくりにアスワンのフィラエ神殿へ向かいました。プトレマイオス朝期に建立されたイシス女神の聖域は、ハイダム建設に伴い一九七〇年代に隣のアギルキア島へ丸ごと移築された遺産です。船から島影を見つめると、塔門が夕日に照らされて立ち上がりました。三九四年、最後のヒエログリフがここに刻まれたとされる場所。古代の文字を最後に書いた人の手の温度を、私は石壁の浅浮彫に確かめました。
石に刻まれた王の名は薄れても、ナイルは変わらず流れていく。年を跨ぐエジプトの七日間は、人類の最も古い記憶に手を触れる旅でした。次に来るのが何十年後でも、この川はきっと同じ光をたたえているはずです。