光と石畳、フランス・スイス独り旅

海外 フランス・スイス 17 章 / 52 枚

雪嶺の風から始まり、ベルンの石畳、パリの大聖堂、ノルマンディの干潟、そして地中海の夕暮れまで。フランスとスイスを縦に貫いた一人旅は、季節も街並みも食卓も少しずつ表情を変え、私の手帳に静かな余白を増やしていきました。一枚ずつ、その余白をめくり直します。

ユングフラウ地方への入口

スイス・ベルナーオーバーラント (2018年11月頃)

宿の壁に貼られた一枚の地図から、私の旅は始まりました。アイガー、メンヒ、ユングフラウの三山と、その麓に広がる氷河湖、トゥーン湖とブリエンツ湖。標高4158mのユングフラウは1811年にマイヤー兄弟が初登頂し、1912年にはヨーロッパ最高地点の鉄道駅が開通。地図の赤い線をなぞりながら、私はまだ見ぬ稜線を指でたどっていました。

霧のグリンデルワルト

スイス・グリンデルワルト

バスがアルプスの谷へ降りていくと、雲は山肌を撫でるように流れ、牧草地の黄色い花が雨に濡れていました。グリンデルワルトは標高1034m、アイガー北壁を望むベルナーオーバーラントの拠点集落。木造シャレーと黄色い登山鉄道が霧の合間から姿を見せ、駅に着く頃には山頂は完全に雲のなか。それでも、この静けさこそが冬を待つ村の表情なのだと思いました。

ベルン旧市街の朝

スイス・ベルン

首都ベルンの旧市街は、1983年にユネスコ世界遺産に登録されました。中世から続く石畳のアーケード「ラウベン」を歩けば、12世紀末にツェーリンゲン家が築いた街割りがそのまま残っているのが分かります。中央には13世紀の時計塔ツィットグロッゲ、噴水の柱の上には古い伝説の人形が立ち、赤い連節バスがゆっくりと通り過ぎていきました。坂を下れば、アーレ川の蛇行が街を抱きしめるように見えます。

ノートルダムの光と石

フランス・パリ シテ島 (2018年11月)

セーヌ中州のシテ島に立つノートルダム大聖堂は、1163年起工・1345年完成のフランス・ゴシックの代表作です。北翼廊のステンドグラスから差し込む青と赤の光が、暗い身廊の床に冷たい色を落としていました。狭い螺旋階段を上り切ると、空はパリらしく抜けるように青く、フライング・バットレスの向こうにエッフェル塔が小さく見えています。屋根の尖塔がまだ高く真っ直ぐに立っていた、ある秋の午後の記憶です。

サント・シャペルの宝石箱

フランス・パリ シテ島

ノートルダムのすぐ隣、王宮の奥に隠れるように建つサント・シャペルは、1248年にルイ9世がキリストの聖遺物を納めるために建立しました。上礼拝堂に踏み込むと、高さ15mの15枚のステンドグラスが四方を囲み、内部はまさに巨大な宝石箱。1113もの場面で旧約と新約聖書の物語が描かれ、午後の光が藍と紅に分かれて石床へ落ちます。私は中央に立ち、しばらく息をするのを忘れていました。

サン・ジェルマンの午後

フランス・パリ 6区

セーヌ左岸のサン・ジェルマン・デ・プレ教会は、6世紀メロヴィング朝に起源を持つパリ最古級の教会です。素朴なロマネスク様式の鐘楼が、よく晴れた青空に切り取られていました。近くには1838年創業の老舗百貨店ル・ボン・マルシェ。ベル・エポックの装飾を残す優雅な建物のショコラ売場では、小さなチョコレートが宝石のように整列し、見ているだけで歩き疲れた足が少し軽くなる気がしました。

モンマルトルの丘へ

フランス・パリ 18区

セーヌの北、標高130mの丘の上にそびえるサクレ・クール寺院は、普仏戦争後の1875年に着工し1914年に完成。白いトラヴァーティン石灰岩はパリの雨に洗われるたび白さを増すと言われます。階段を見上げると重量感のあるドームと丸いアプスが連なり、丘の裾の小さなビストロ「ル・サン・ジャン」では雨上がりの石畳が光っていました。展望台から見下ろすパリは、霞みと雲の下で静かに息をしていました。

オルセーの絵の前で

フランス・パリ 7区 オルセー美術館

セーヌ左岸の旧オルレアン鉄道駅を改装したオルセー美術館は、1986年開館。1848年から1914年までの近代美術を世界一の規模で蔵します。セザンヌが何度も描いた南仏のサント・ヴィクトワール山。ヴァン・ゴッホがアルル時代に夜のローヌを描いた『星月夜』。ミレーがバルビゾンの収穫後を写した『落穂拾い』。一枚ずつの前で、画家たちが暮らした空気の匂いまで感じられる気がしました。

チュイルリーから望むエッフェル塔

フランス・パリ 1区

ルーヴルの正面に広がるチュイルリー庭園は、1564年にカトリーヌ・ド・メディシスが命じて造らせ、後にル・ノートルが現在の幾何学的構造へ整えました。テラス越しに目を凝らせば、緑の木立の向こうに三角形の細い影。1889年のパリ万博のために建てられた高さ330mのエッフェル塔です。古い街灯と砂利道の先に近代の鉄塔が立つ、この遠近の組み合わせがとてもパリらしく感じられました。

ヴェルサイユの幾何学

フランス・ヴェルサイユ宮殿庭園

パリの南西約20km、ルイ14世が1661年から造らせたヴェルサイユ宮殿は、ヨーロッパ宮廷文化の頂点を飾る世界遺産です。庭師アンドレ・ル・ノートルが設計した「フランス式庭園」は、対称軸と円形の池、刈り込まれた灌木で幾何学を描き、奥には大運河が静かに伸びていきます。生垣のトンネルを抜けると、急に開ける芝生と、遠く点景のように歩く人々。視線そのものが王の権威の道具だったのだと、足元の砂利を踏みしめながら考えました。

ノルマンディの春の道

フランス・ノルマンディ地方

パリを離れ、列車を西へ。ノルマンディは赤煉瓦と化粧木骨の家、リンゴ酒の里です。庭先のリンゴの木は花を咲かせ、白い花びらが芝生に散っていました。古い村の小さな墓地では、十字架と苔むした石棺が日差しの下で静かに眠り、その向こうにはまた別のリンゴ畑。遠くに人影もなく、風が草をなでていく音だけがしている、そういう旅の午後がたしかにあるのです。

干潟に浮かぶモン・サン・ミシェル

フランス・ノルマンディ モン・サン・ミシェル

ノルマンディとブルターニュの境、潮の干満差が激しい湾に浮かぶ岩山がモン・サン・ミシェルです。966年にベネディクト会修道院が置かれて以来、ロマネスクからゴシックへと改築を重ねた巡礼地で、1979年に世界遺産登録。引き潮の砂浜から見上げると尖塔のミカエル像までの高さが約150m、城壁の上を歩けば、地平線まで続く干潟の銀色が目に染みます。風は塩を含み、足元は遠くからの祈りでできていました。

南仏の夜、ムージャンの石畳

フランス・コート・ダジュール ムージャン

ニースから内陸へ少し入った丘の上の村ムージャンは、ピカソが晩年を過ごし1973年に没した「画家たちの村」です。夕暮れの展望台から見渡せば、糸杉と赤瓦の屋根が幾重にも重なり、夜になればホテル・ド・フランスの古い壁にだけ柔らかな光が灯ります。狭い路地のギャラリーでは色彩の濃い肖像画が、噴水の広場では石の動物たちが、それぞれ静かに私を見送ってくれました。

プロヴァンスの皿、エスカルゴと蛸

南仏・ムージャンの食卓

南仏の食事はオリーブ油とハーブと地中海の幸でできています。ブルゴーニュ風エスカルゴはガーリックバターとパセリの香りで殻ごと熱く、青い皿の真蛸は、グリルした穂先アスパラと赤ピーマンのソースに横たわっていました。市場の棚にはペルー産のクルクマ(ウコン)と生姜、真っ赤なトマト。一人の食卓は静かですが、皿の上だけは賑やかで、私はゆっくり時間を使ってワインを傾けました。

鷲の巣村エズと地中海

フランス・コート・ダジュール エズ

ニースとモナコの間、海抜429mの岩山に張り付くエズは「鷲の巣村」と呼ばれる中世の城塞集落。狭い石段と石壁の家々が迷路のように入り組み、頂上にはサボテンとアロエが咲き乱れる「異国植物園 (Jardin Exotique)」が広がります。崖の上の彫像は遥か地中海を見下ろし、青の濃淡だけが世界を二分していました。標高差を歩いた汗が、潮風に乾いていくのが心地よかった。

カンヌとニースの夜景

フランス・コート・ダジュール ニース/カンヌ

コート・ダジュールの代表都市カンヌでは、毎年5月に国際映画祭が開かれます。夜のクロワゼット海岸沿いには映画祭のためのパビリオンが連なり、波打ち際のすぐ先まで光が伸びていました。鉄道駅前の壁画「Gare Auto」は街の遊び心。少し東へ移動したニースでは、城跡の丘から「英国人の散歩道」をはさんで湾が大きく弧を描き、夕暮れから夜へと色を変えていく眺めはまさに紺碧海岸の名のとおりでした。

古い塔のかたわらで

フランス・パリ 4区

パリの中心、リヴォリ通りの少し北。葉を落としかけた木々の向こうに高さ52mの白い塔が立っていました。サン・ジャック塔は16世紀初めに建てられたサン・ジャック・ラ・ブーシュリ教会の鐘楼で、フランス革命で本体が解体された後もこの塔だけが残されました。後にパスカルが大気圧の実験を行い、現在は世界遺産「サンティアゴ巡礼路」の出発点として登録されています。秋の門の前で、私はしばらく見上げていました。

高地の冷気から地中海の潮風まで、ヨーロッパは一つの大陸の中に幾つもの世界を抱えていました。歩幅は遅く、迷いも多かったけれど、石畳と絵画と一皿の料理が、ちゃんと旅を覚えていてくれます。