古代ローマ 七つの丘の記憶
2018-12 (旅の序盤・ローマ初日)
私のローマは、円形闘技場の暗渠をのぞき込むことから始まりました。西暦80年に皇帝ティトゥスが完成させたコロッセオは、収容五万人を誇った古代の興行装置。地下迷路がむき出しの内陣に立つと、剣闘の喧騒が石に染みているようです。隣の丘では、初代皇帝アウグストゥスが住んだパラティーノの離宮跡が松籟に揺れ、眼下にはフォロ・ロマーノの広場跡。共和政から帝政への政治の心臓部を、灰色の冬空がそっと覆っていました。
2018-12 (旅の序盤・ローマ初日)
私のローマは、円形闘技場の暗渠をのぞき込むことから始まりました。西暦80年に皇帝ティトゥスが完成させたコロッセオは、収容五万人を誇った古代の興行装置。地下迷路がむき出しの内陣に立つと、剣闘の喧騒が石に染みているようです。隣の丘では、初代皇帝アウグストゥスが住んだパラティーノの離宮跡が松籟に揺れ、眼下にはフォロ・ロマーノの広場跡。共和政から帝政への政治の心臓部を、灰色の冬空がそっと覆っていました。
2018-12 (ローマ二日目・午前)
テヴェレ川にかかるサンタンジェロ橋は、二世紀にハドリアヌス帝が自らの霊廟への参道として築いた橋。十七世紀にはベルニーニ工房の天使像十体が欄干に据えられ、今もキリストの受難を物語っています。背後の城塞サンタンジェロは霊廟から要塞、教皇の避難所、牢獄へと姿を変えてきた建物。煉瓦の中庭と地下の洞窟めいた古層を歩くと、二千年が垂直に積み重なっているのが分かりました。
2018-12 (ローマ滞在中・ヴァチカン日帰り)
国境を一歩越えれば、面積〇・四四平方キロの世界最小国家・ヴァチカン市国。十六世紀から百二十年を費やしブラマンテ、ミケランジェロ、マデルノらが築いたサン・ピエトロ大聖堂のクーポラに登ると、眼下にはネルヴィ設計のパウロ六世記念ホールの貝殻屋根、奥にはローマの七つの丘。風の冷たい朝の空に、教皇庁の鼓動が透けて見えるようでした。私は手すりに身を預け、しばらく動けずにいました。
2018-12 (ローマ滞在中)
ローマには教皇直属の四大バシリカがあり、その筆頭がエスクィリーノの丘に立つサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂。五世紀の創建で、内陣のコンフェッシオには黄金に包まれた飼い葉桶の聖遺物が安置されています。ねじり柱と大理石、金箔のレリーフ。ローマの教会はどこも装飾過多に見えて、信徒のための物語装置として機能してきたのだと、暗がりの中で改めて腑に落ちました。
2018-12 (ローマ滞在中・午後)
二世紀に皇帝ハドリアヌスが再建したパンテオンは、世界最古の現役建築のひとつ。直径四十三メートルの無筋コンクリート円蓋は二千年経ってなお無傷で、入口前には観光馬車が並んで客を待っていました。トラヤヌスのフォルムを抜け、共和制末期にカエサルが暗殺されたとされるラルゴ・アルジェンティーナの遺跡へ。猫が日向ぼっこする廃神殿を横目に、私は石畳の街路に身体を慣らしていきました。
2018-12 (ローマから日帰り遠足)
ラツィオ州の凝灰岩台地の上に、徒歩橋でしか渡れない小さな村があります。チヴィタ・ディ・バニョレージョ。紀元前のエトルリア人が築き、地震と侵食で「死にゆく町」と呼ばれるようになった集落です。崖肌をくり抜いた古代の倉庫跡、煙突から細く湯気の立つ石造の家、軒先のブルスケッタの看板。常住人口は十数人ほど、冬の夕暮れには客の足音だけがコツコツと路地を渡っていきました。
2018-12 (ヴェネツィア二泊)
ナポレオンが「世界一美しい応接間」と称したサン・マルコ広場。十四世紀ゴシックのドゥカーレ宮殿の前に、円錐形のクリスマスツリーが点された朝でした。隣接するカンパニーレ(鐘楼)に登ると、赤瓦の屋根の海と霧の向こうにラグーナが広がります。一一七三年の海の共和国の中枢が、いまは観光客と鳩に開かれた舞台に変わっている。冬のヴェネツィアは、人が少ない分だけ建物がよく見えました。
2018-12 (ヴェネツィア二日目)
ヴァポレットに揺られ、大運河を一気に下りました。十七世紀ペスト終焉を願って建てられたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会のドームが川面に浮かびます。バロック建築家バルダッサーレ・ロンゲーナの傑作。狭水路に分け入れば、ホテル・リスボナの色褪せた看板の下に、漆黒のゴンドラが舳先を寄せていました。ドゥカーレ宮殿の脇では、ため息橋を仰ぐ人々で小橋がにぎわい、私はその喧騒からそっと距離をとりました。
2018-12 (ピサ日帰り)
緑の芝生の上に大理石の建築群が並ぶ「奇跡の広場(カンポ・デイ・ミラコリ)」。十一世紀のドゥオモ、十二世紀のサン・ジョヴァンニ洗礼堂、そして地盤沈下のせいで傾いてしまった鐘楼。重ねられたロマネスク様式の連続アーチは、海洋共和国ピサの黄金期を物語っています。北辺のカンポサント・モヌメンターレは十字軍が運んだ聖地ゴルゴタの土を敷き詰めた回廊墓地。冬の鈍色の光がかえって石を引き締めて見せました。
2018-12 (トスカーナ周遊)
十四世紀には七十二もの塔がそびえ、現在も十四本が残るトスカーナの丘上都市・サン・ジミニャーノ。商家どうしの権勢競争が垂直の景観を生んだ、中世の摩天楼街です。狭い石畳の路地を抜け、世界一に何度も選ばれたジェラテリア・ドンドリの扉を押す。郊外の畑から振り返れば、糸杉の間に塔が並んで天を指していました。サフラン色の絞り染めみたいな夕陽が、石灰岩の壁をゆっくり照らしていきました。
2018-12 (シエナ立ち寄り)
白と黒の大理石を交互に積んだ柱、青地に金の星を散らしたヴォールト天井。シエナ大聖堂は十三世紀ロマネスク・ゴシックの粋を集めた聖堂で、ピサーノ親子の説教壇やピントゥリッキオ装飾のピッコローミニ図書館で名高いものです。日没後の旧市街は、噴水のあるマンジャの塔下の広場に小ぶりなツリーが灯り、冬の冷気の中にイタリアの祝祭が静かに息づいていました。
2018-12 (フィレンツェ二泊)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称フィレンツェのドゥオーモ。一二九六年に着工し、十五世紀にブルネレスキが直径四十二メートルの八角形クーポラを架けて完成。緑・白・桃の三色大理石を幾何学的に張り分けたファサードは十九世紀の改修ですが、ジョットの鐘楼と洗礼堂が並ぶ姿は今も世界屈指のスカイラインです。クーポラに登り、街並みを見下ろした瞬間、ルネサンスがここから始まったことが目で分かりました。
2018-12 (フィレンツェ滞在中)
メディチ家の事務所(ウフィツィ)を改装した美術館は、世界三大美術館の一翼を担う名画の殿堂。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」(一四八五年頃)の前には、不思議な静けさが漂っていました。海から生まれた女神のたおやかな肢体、桂冠詩人ポリツィアーノの詩に重ねられた寓意。隣室のフィリッピーノ・リッピらの円形画(トンド)も、母性と知性のモチーフが鮮やかでした。私は順路を二度逆走しました。
2018-12 (フィレンツェ滞在中)
シニョリーア広場のヴェッキオ宮は、一二九九年起工のフィレンツェ共和国の政庁。サヴォナローラの説教でも知られる「五百人広間(サローネ・デイ・チンクェチェント)」は天井高十八メートル、ヴァザーリ一派が描いたメディチ家の戦勝壁画と金箔の格天井に圧倒されます。コジモ一世の私室、隣接するレオ十世の間も含め、政治と芸術が分かちがたく結ばれていた時代を歩きました。
2018-12末 (ベルギー入国)
イタリアから北へ。一八四七年開業のサン・テュベール王立ギャラリーは、ヨーロッパ最古級のガラス屋根のアーケード。ネオ・ルネサンス様式の二百メートルの空間に、王室御用達のチョコラティエや古書店が並びます。歩を進めれば、十三世紀着工のサン・ミシェル&サンタ・グデュル大聖堂。ブリュッセル派のステンドグラスと、白い大理石の墓碑彫刻に、北方ゴシックの透徹した光が差していました。
2018-12末 (ブルージュ日帰り)
「北のヴェネツィア」と称されるブルージュは、十二〜十五世紀にハンザ同盟の交易拠点として栄えた都市。歴史地区はそのまま世界遺産に登録されています。十三世紀創建のベギン会修道院(ベヘインホフ)は、白塗りの修道女館とポプラ並木に囲まれた円形の庭が静謐そのもの。ミネワーテル(愛の湖)に白鳥が浮かび、聖血礼拝堂の祭壇は中世の祈りを今に伝えていました。
2018-12末 (ヘント滞在)
ヘントの中心には、市民の自治の象徴である鐘楼ベルフリーがそびえます。十四世紀建造、九十一メートル、世界遺産。広場に出れば二〇一八年末のクリスマスマーケットの賑わい。少し歩けば、十二世紀のフランドル伯居城・グラーフェンスティーン城が黒ずんだ石灰岩の塁壁を見せ、対岸には聖ピエール広場。古都の重みと現代の大学街(ヘント大学)が同居する、不思議な街でした。
2018-12末 / 2019年新年 (アントワープ立ち寄り)
「鉄道の大聖堂」と名高いアントワープ中央駅は、一九〇五年に建築家ルイ・デラサンスリーが設計したネオ・バロック様式の駅舎。高さ四十三メートルのドーム下、四階建てのプラットフォームを支える大理石の柱が威風堂々と並びます。さらに歩けばルーベンスの祭壇画を擁するノートルダム大聖堂。北方ルネサンスとフランドル絵画の継承を、私は冬の青い空の下で確かめました。
2019-01初 (旅の終盤)
旅の終点はアムステルダム。十七世紀オランダ黄金時代に整備された運河網は世界遺産で、グラハテンの両岸に細長いカナルハウスが肩を寄せ合います。中央駅前のレンガ造りの市庁舎風の建物の前を、青と白のトラム(GVB)が行き来する。ダムラックから運河を渡り、シンゲル運河の朝の光を受けながら、私は二千年と二千キロの旅を反芻しました。冬の北海風が、ようやく旅の終わりを告げてきました。
古代ローマの遺構から北方ゴシックの尖塔まで、欧州の二千年を一筆書きでなぞった旅でした。冬枯れの街並みに灯った祝祭の光が、いまも記憶のあちこちで瞬いています。