砂漠と聖地、二つの王国を巡る

海外 ヨルダン・イスラエル 16 章 / 50 枚

アブダビ経由でアンマンへ降り立ち、ローマ円形劇場に立つ街並みを見下ろしてから、私はヨルダン川を越えてエルサレム旧市街へ向かいました。岩のドームを仰ぎ、嘆きの壁とオリーブ山を歩いた後、ふたたび東岸へ。死海に浮かび、王の道を南下し、薔薇色の都ペトラと月の谷ワディラムを訪ねる、十日間の砂と祈りの旅です。

アブダビ乗継、夜の砂漠ハブ

出発日 経由

アブダビ国際空港の旧第3ターミナルで、私は黄金の籠のような巨大な装飾柱を見上げていました。1982年に開港したこのハブは、湾岸の中継点として中東各地の便を集めます。深夜便を待つ間、上層階のフードコートと免税店の灯りが鈍く床に映り、まだ砂漠は遠い予感だけ。コーヒーの湯気越しに、ヨルダンへの夜が始まりました。

白い丘の都アンマン

1日目

ダウンタウンに降りると、アラビア語の看板と黄色いタクシーが冬枯れの並木の下を流れていきます。アンマンは標高約八百メートルの七つの丘に広がる古代フィラデルフィアの末裔。クリーム色の石灰岩で建物の外装を統一する条例があり、丘の斜面に立方体の家々が幾重にも積み上がる眺めは、この街固有の風景です。私は冷たい風に肩をすくめ、街の鼓動に耳を澄ませました。

城塞の丘とローマ円形劇場

1日目 午後

アンマン城塞ジェベル・アル・カラアの頂で、私はヘラクレス神殿とウマイヤ朝宮殿の石組みに触れました。新石器時代から人が住み続けた丘で、足元には直径わずか一メートルほどの石臼の輪。下って訪れたローマ円形劇場は二世紀のアントニヌス帝時代に建てられ、約六千人を収容します。半円の最上段から見下ろす街は、二千年の時を一望できる客席でした。

嘆きの壁と岩のドーム

2日目

ヨルダン川を越えてエルサレム旧市街へ。神殿の丘を支えるヘロデ大王時代の擁壁、その西端が嘆きの壁です。背後には六九一年ウマイヤ朝が完成させた岩のドーム、金色の半球が冬の青空に灯ります。隔てられた男女の祈祷区画、白布のトーラー櫃、そして広場をゆっくり横切る黒衣の人々。三つの宗教の呼吸が同じ石から立ちのぼる場所で、私は息を整えました。

聖墳墓教会、十字の刻印

2日目 昼

ヤッフォ門をくぐり、迷路のスークを抜けて聖墳墓教会へ。三二六年ヘレナ皇太后が定めたゴルゴタとイエスの墓を覆う教会で、ギリシャ正教・カトリック・アルメニア正教ら六宗派が共同管理します。薄暗い堂内で銀ランプが鎖を垂らし、巡礼者の指がアエディクラの壁を撫でる。階段室の壁面には十字軍時代に巡礼者が刻んだ無数の小さな十字。祈りの傷痕が、石を磨り減らしていました。

オリーブ山から望む旧市街

2日目 夕方

ケデロンの谷を渡り、オリーブ山の斜面を登ります。中腹のゲッセマネの園には樹齢千年級と言われる老オリーブがねじれた幹を伸ばし、イエス受難前夜の祈りを今も樹皮に残しているようでした。山腹の白いユダヤ人墓地は約十五万基。終末に死者がここから復活すると伝えられ、頂から見下ろせば墓石の海の向こうに岩のドームが浮かびます。光が、街と死を等しく金色に染めました。

城壁を歩いて、シオンの丘へ

3日目 朝

旧市街の城壁は十六世紀オスマン帝国スレイマン大帝が再建したもので、周囲約四キロ、八つの門を持ちます。私はシオン門外のラムパーツ・ウォークを歩き、塔の隅角と銃眼から市内を覗き込みました。眼下のシルワン地区は段々の家が崖にしがみつき、丘の向こうにはドルミション修道院の鐘楼。冬陽が石灰岩の白を一層白くして、二千年の城が今日の街と重なっていました。

死海、塩の鏡に浮かぶ

4日目

海抜マイナス約四三〇メートル、地表で最も低い湖。塩分濃度は約三十パーセントで、海水のおよそ十倍に達します。岸辺は結晶化した塩が白い縁取りをつくり、足元はざらりと尖って痛いほど。仰向けに体を預けると、本当に水が背中を押し返してきました。読書するふりの観光客に倣って空を見上げると、ヨルダン側の山並みが対岸でゆらめく。浮力に身を任せたまま、しばらく言葉を忘れました。

王の道を南へ、峡谷を縫って

5日目

聖書時代から続く古代キャラバン路「王の道」を南下します。途中のダナ生物圏保護区はヨルダン最大の自然保護区で、標高千五百メートルの尾根から大地溝帯のワディが幾筋も走り落ちる絶景。霞んだ朝の空気の底に、リフトバレーの褐色が広がります。エアコンの効いたバスを降り、私は石を一つ拾いました。風はもう、紅海側のにおいを含んでいました。

ペトラ、シークの裂け目を抜けて

6日目 朝

紀元前後にナバテア人が築いた岩窟都市ペトラは一九八五年に世界遺産登録。入口から続く全長約一・二キロの細い亀裂シークは、地殻変動で割れた砂岩の壁が両側に七十メートル以上そびえます。歩くほどに陽の届かない冷気が増し、足音が反響する。最奥で壁が割れた瞬間、噂のエル・ハズネが姿を現すのですが、私はまずこの裂け目自体に圧倒されていました。

王家の墓と巨大都市の残響

6日目 昼

シークを抜けた先に広がるのは、想像をはるかに超えた都市の規模でした。アウター・シークの崖には数百の墓と神殿が彫り込まれ、アーン・トゥームやコリント式墓など「王家の墓」が連なります。中央の谷底には大神殿(グレート・テンプル)の柱頭が円盤のように積まれ、ローマ式列柱通りも残る。最盛期には人口二万を擁したと伝わる隊商都市の、解けかけた赤い夢の中を私は歩きました。

修道院エル・ディル、八百段の頂

6日目 午後

中心部から渓谷を遡ること約八百段、岩を切り出した階段道の終点に、ペトラ最大級の岩窟建造物エル・ディル(修道院)が現れます。高さ約四十五メートル、幅五十メートル、紀元一世紀に王オベダス一世を祀ったとされ、後にビザンツ期にキリスト教徒が壁に十字を刻んだことから「修道院」と呼ばれるように。前に立つと、自分が砂粒ほどに思える。風が柱頭の壺を撫でて低く鳴っていました。

ワディラム、月の谷の砂

7日目

ペトラから南へ約百キロ、花崗岩と砂岩の巨岩がオレンジの砂海に屹立する保護区ワディラム。アラビアのロレンスが拠点とし、映画『火星』のロケ地にもなった地形です。ベドウィンのキャンプから四駆で奥地へ進み、夕陽に岩肌が赤銅色に燃えるまで砂丘を歩きました。風紋が一歩ごとに新しい模様を描く。地球上で最も静かな場所のひとつで、私は耳の中の鼓動を聞いていました。

ベドウィンとラクダの夕暮れ

7日目 夕方

キャンプの主が連れてきた母ラクダの腹には、生後三日の子が寄り添い乳を求めていました。ヒトコブラクダはアラビア半島で約四千年前に家畜化され、砂漠の人にとって移動・乳・毛・肉のすべてを支える命綱です。鞍を外され木陰で寝そべる老ラクダの顔は、どこか達観していて。私は遠慮がちに頸を撫で、彼女が運んできた幾千の隊商の道に思いを馳せました。

マダバ、モザイクの町

8日目

アンマン南西約三十キロのマダバは、ビザンツ・ウマイヤ期のモザイクが大量に残る「モザイクの町」。聖ジョージ教会の床に残る六世紀の地図モザイクは、現存最古の聖地地図として知られます。考古公園の屋根の下では、剥がされた床片が壁に立てかけられ、ぶどう棚や町並み、聖人の肖像が色鮮やかに復元されていました。テッセラ一片ずつに祈りが粒立ち、千五百年の時間が手の届く高さに並んでいます。

考古公園の回廊、旅の終いに

8日目 午後

マダバ考古公園は、六世紀ヴァージン教会跡を中心に四つの遺構を覆う屋根を架け、剥き出しの床を歩道で見学できる施設です。アーチが幾層にも連なる中庭、ガラス越しの旧教会基礎、バルコニーから見下ろすモザイクの帯。冬の薄い光が高窓から差し込み、私の影は石畳に長く伸びました。翌朝は再びアンマンの空港へ。砂と石とモザイクの音が、まだ耳の奥でかすかに鳴っています。

黒衣の祈りと赤い砂、ローマの石とナバテアの岩。三つの一神教が肩を寄せる土地で、私は誰の物語にも属さないまま歩きました。砂塵の向こうにまだ、聞こえなかった声がある気がします。